カウンセリングで自分の問題を解決しようとする時、効果的な受け方がとても難しく感じています。どうしたら適切に受けられるのか考えてみました。
私はいまいち自己肯定感が低くて、満たされない思いや孤独感、理解されないという思いを抱えてきました。
それを変えたくて色んなカウンセラーさんに相談してきました。でもなかなか人を信頼できないので、大体心を開けませんでした。
やっぱりこの人もダメかもしれない。そしてまた違う人を探して…そんな事を繰り返していました。
その裏にどんな気持ちがあったのか?
それは多分、受け入れて欲しいという期待。
だけど自分以外の他人に受け入れてもらう事には限度があります。
私の場合おそらく、例えどんなに寄り添おうとしてくれたとしてもどこかで「あ…理解してもらえない」「この人との関係に私の居場所はない」と思う理由を見つけてしまいます。これは日常生活でも同じでした。
そこで取り敢えずの対処法として考えたのは、カウンセラーさんは代わりに自分を全て受け入れてもらう役割ではないと思うこと。
更に言うと全て受け入れてもらわなくても良いと認めること。
しかし、全てではなくても確かに受け入れてくれているんだと信頼することです。
カウンセラーさんは受容的な姿勢で聞いてくれます。でも本当の自分の望みを分かってあげられて、存在を全て受け入れられるのは自分以外に誰もいません。自分に一番近く寄り添える可能性を一番高く持っているのは自分なのです。
結局は違う人間同士で限度があります。でも心の底で完全な理解を望んでいたら落胆したり傷ついてしまう可能性があります。
だからこそ全て理解してくれなくても良いと認めることが大事だなと思いました。
そして2つ目に考えた取り組み方。
自分の感情や思考に対して極めて冷静に、理性的に見つめる事です。カウンセリングは受け入れてもらう事だけが役割なのではなく、思考のトレーニングの場であるという考え方です。
凄く難しいのですが、これがカウンセリングの神髄なのかなと思いました。
冷静に、と聞くと感情を切り捨てるような印象ですが冷たくするのではなく。自分で自分の味方をして、温かく理解してあげる気持ちで向き合うと良いのかもしれないですね。
そうすると少し出来るような気もしませんか?これがもし出来たら世界は広がって深みを増すのかもしれません。
クライアント側はつい救いや答えを求めてしまうのですが、それ自体が本来カウンセリングが提供してくれるものと違うんだという意見もあります。
その為ニーズと噛み合わず、何もしてくれなかったと期待外れになり、結局一人の力でやらなきゃいけないのか…と傷付いてしまう事もあります。
せっかく相談したのに理解してもらえなかったと無闇に傷付いてほしくないし、傷付きたくないのです。
ですから心構えとして全ては理解してもらえないかもしれない、それでも良いという前提を持つこと。また感情を一旦横に置き、なぜそう考えたのか冷静に且つ温かな目線で気付くことが理想なのかなと思いました。
自分が自分のカウンセラーになる、自分の中にカウンセラーを作ると考えても良いかもしれません。一人では気付かないこともあるので他者であるカウンセラーさんに相談しながら、私も私のカウンセラーにもなる、というイメージでしょうか。
その先に自己肯定感が高まれば、相手と自分のより適切な線引きが出来ていくように思います。
私にとってもまだ理想論ですが、また相談する時は意識してみようと思います。