作品には様式、スタイル、方法、形式…主題を伝える為の様々な手段がありますよね。
私は高校生の頃に美術を勉強しようと思い、美術史から様式や形式を理解しなくては!と義務的に勉強しました。
さぁ、そこで得るものは何でしょう?
表面的な知識だけ少し増えたら、形だけに囚われてしまいました。何か自分も独自の様式を持たなくては、という焦燥感ばかりが募って辛くなりました。そして美術を辞めました。
ですので勉強は大事ですが、囚われてしまうくらいなら逆効果な事もあると思います。
でもこんな事ばかりではなかったのですよ。
好きなキャラクターや作品などの二次創作において、あの世界観を表現したいという「明確な目的」があったから出来たものもありました。
例えばこれ。
確かセリアで買ったボードで、大好きなゲーム「ときメモGS2」のアクキーを飾るボードとして作りました。最初はコルクボードのように画鋲を刺す予定だったのですが、描いた所に穴開けたくないなと思いそのままです。
それならと紐を張る事も考えましたが、貝殻が邪魔するのとこのままでも良い気がして結局ボード単体で放置してます。
これはアクリル絵の具で描いています。砂浜は本当の砂です。絵画用の砂であるサンドマチエールを使いました。
他にはジェルメディウムを使用しています。海の透明感の表現と白波を立体的に盛り上げたり、砂を付ける際の接着剤として使いました。
まだまだ書ける事はありますが笑。これは楽しく出来たのを覚えています!この他にも同じ作品のキャラで四苦八苦しながらぬいぐるみを作った時も楽しかったです。
逆にゼロからオリジナルでイラストを描いてる時など、迷走してただ苦しい事はよくあります。
それは結局、なにを描きたいのか?なにを伝えたいのか?が無いからなんだと最近気付きました。
それを見つけるには、やっぱり自分の中をもっともっと深掘りしていかなくてはいけないのかな…と思うようになりました。
そうした時、やっと悩まなくなるのかなと。
構図が浮かばないとか、あの形式を自分もやりたいとか、何が良いのか分からないとか…。そんな苦しみが消えてくれるのかなと思います。
最終的な目的が決まっていれば自然と手は動くと思うんです。
今まで二次創作や誰かへのメッセージにイラストを添えた時が楽しかったのは、決してその方法が正解なのではなくて目的がハッキリしていたから。ただそれだけなんです。
私は自分の中に伝えたい事を見つけて、表現できる時がくるのでしょうか…?見つける物ではなく、湧き出てくるものなのでしょうか。
あるにはある気もするし、すぐに表現に結びつかなくてモヤモヤしています。まだ出口の見えない中にいて、本当は早く抜け出したいです。
わずかでも絵が好きだったはずなのに分からなくなってしまった悲しいお話…。真面目すぎたのかな?笑
でも諦めが悪いのでまだ懲りずに考えていきたいです。完璧じゃなくても、ある程度少しは勉強してきたから呪縛から解放されても良いはず…。
手段を知る、技術を学ぶ事は大いに助けになります。特に初めの頃など身に付けた方がプラスになる事も多いでしょう。しかしある程度身に付いたら、本当の本当に削ぎ落として最後に残る本質や肝は技術のレベルではありません。
何を伝えたいかという理屈じゃない気持ちではないかと思います。
そんな気持ちを一番大切にしましょう!という自戒でした。